欅坂46の総括~全楽曲精読その2~(『手を繋いで帰ろうか』,『キミガイナイ』)

欅坂46の総括~全楽曲精読その2~として,1stシングル『サイレントマジョリティー』のカップリング曲から『手を繋いで帰ろうか』と『キミガイナイ』の歌詞の精読をしていく. 

今回のこの記事では,『手を繋いで帰ろうか』と『キミガイナイ』がセットになっており,同一のカップルのある一日の情景を映し出していること,今なされている解釈とは異なった解釈が出来るのではないか?また,その解釈の方が正しいのではないのか?ということを指摘したい .

前の記事を読んでない人はぜひ読んでね!

目次

  • ・『手を繋いで帰ろうか』を精読する
  • ・『キミガイナイ』を精読する
  • ・『手を繋いで帰ろうか』と『キミガイナイ』を通しての歌詞の捉え方
  • ・『手を繋いで帰ろうか』からみる振り付けの解釈とその危うさについて
  • ・あとがき

 

・『手を繋いで帰ろうか』を精読する

 『手をつないで帰ろうか』はシリアスな曲が多い欅坂46にとって貴重な明るい曲で,ライブでの人気も高い曲である.

ダンス部分では守屋茜菅井友香が男女カップルを演じ,メンバーの周りを行ったり来たりしながら,歌詞と共に喧嘩をする場面から仲直りをして手を繋いでキスをするまでが振り付けで表現されている可愛らしい曲となっている.

(動画は2016年TIFでの手を繋いで帰ろうか,とにかく平手友梨奈の笑顔が可愛い(キャロてち))

では 『手をつないで帰ろうか』を精読していく.

”何か誤解させてしまったのかな

みんなに冷やかされて首を振っただけOh

だって誰にも言ってないだろう

君のことをあれこれ聞き出そうとするから

そう面倒くさくて興味ないふりをして

僕はずっとソッポ向くしかなかった

だけど心は集中して君のことを気にしてた

アイスカフェラテのストローの回し方

なぜか君が不機嫌に見えるよごめんやってしまった”

 

手を繋いで帰ろうかでは一組の彼氏彼女と彼氏の側の友人が登場する.そして,彼の側が終始言い訳をしているような歌詞となっていることに注目したい.この彼は彼女と交際していることをみんなに隠していた.

この日,友人にいきなりあれこれ詮索され,動揺してしまい,”みんなに冷やかされて首を振っただけ”とあるので交際を否定してしまった.

そして”面倒くさくて,興味ないふりをしてそっぽを向いているしかなかった”,とただ言い訳をしている.なぜか君が不機嫌に見えるよと言っているが,明らかに不機嫌になる理由を作ったのは彼なのだ.

”手を繋いで帰ろうか

誰かに見られてもいい

堂々と街を歩いて見せびらかそうよ

君と僕はラブラブで付き合ってるってこと

いつもの二人のように仲直りしようよ

つまらぬ照れ隠しをして

君を傷つけたのなら

家に帰っちゃう前に罪滅ぼしさせて

ぽっかりと開いたハート何で穴埋めする?

街角でキスをしよう”

 

そしてその彼女の機嫌を直すために,”手を繋いで帰ろうか,誰に見られてもいい,堂々と街を歩いて見せびらかせよう”,と開き直り自身の潔さ,男らしさを発揮し,許してもらおうとする.

しかし,これは彼女の側から見れば明らかに対応を間違えている.この彼女がして欲しかったことは,始めに聞かれた際に,即座に友達の前で堂々と交際を認めることであって,手を繋いでラブラブ具合を示すことでも,公共の場でキスをすることでもないのである.この過ちはもう取り返しが付かない.すべきは謝罪しかない.

この彼のはき違えたロマンチズムや,なんならキスをしたいという肉体的な欲望をも叶えようとする思考には悪質さがある.(あくまで青少年の悪意なき悪質さである…)

これは明らかに意図されており,思春期のあいまいさがある彼と,優しいが時には感情的になってしまう彼女,のすれ違いの情景を映した歌詞となっており,これは2番以降の歌詞にも続く.

”ふいに君はカフェから出て行ったよ

慌てて僕はすぐ後を追いかけたOh

みんなその展開に驚いてまずいことを言ったのか?

顔見合わせるけど

そうデリカシーがない男友達に

君はマジで怒ってしまったようで

僕が名前叫んだって振り向いてもくれない”

 

2番の歌詞では,彼に怒って彼女はカフェから飛び出してしまう.彼は追いかける,友人はいきなり彼女が走り去ったことの理由がわからないで気まずそうにしている.

彼はというとデリカシーのない男友達を盾に再度言い訳をする.そして,彼女が(俺にはそんなに責任はないのに)マジで怒ってしまった,と軽く言ってしまう.彼は自分に過失があったと認めていないし,”名前を叫んだら振り向いてくれよ!”と思っている.

”道を渡る時いつもより早足で

まさか君は泣いてるのだろうか?

やばい話を聞いて?

手を繋いで帰ろうよ

みんなが向こう側から僕たちを見守っている

視線意識して…”

 

 

彼は彼女が泣いてしまったかもしれないことに動揺する.そして,話し合えば分かり合えると考えており,話を聞いてほしいと訴える.

しかし,サビ部分にて”誰かに見られてもいい,堂々と街を歩いて見せびらかそうよ”と言っているが,実は僕たちを見守っている友人や街の人の視線を意識していることもまた描かれる,そういった点でも彼女が泣いていることを気にするのである.

”こんなくだらない喧嘩

何でもなかったように

このままどこまでも歩いて行こうよ

どんな噂立てられても他人(ひと)も羨むくらいに…

僕をもう一度信じてもっと近くにおいでよ

言葉じゃわからないのならこうするしかないね

今ここでキスをしよう”

 

ここでも彼女にとってはカフェを飛び出すほど重要な問題であるにも関わらず,”こんなくだらない喧嘩”と言ってしまう.そして,”他人も羨むくらいに”とここでもまた他人の視線を気にしていることが分かる.

”手を繋いで帰ろうか

誰かに見られてもいい

堂々と街を歩いて見せびらかそうよ

君と僕はうラブラブで付き合ってるってこと

いつもの二人のように仲直りしようよ

つまらぬ照れ隠しをして君を傷つけたのなら

家に帰っちゃう前に罪滅ぼしさせて

ぽっかりと開いたハート何で穴埋めする?

街角でキスをしよう”

 

サビでは繰り返し罪滅ぼしのためにキスをしようよと提案する.このように,『手を繋いで帰ろうか』では,彼女と仲直りはしたいが,相手の気持ちが妙に考えられない思春期の青少年の未熟さが上手く表現されている.

ここで,歌詞を全て精読したがこの提案を受けた彼女の側の意見や行動は一度も表現されていない.彼女はそれに応じてキスをし,その場で仲直りしたのであろうか?それとも怒ったままで帰ってしまったのであろうか?

ここで次のキミガイナイの歌詞が問題になってくると考える.

・『キミガイナイ』を精読する

 キミガイナイが”孤独”をモチーフにした曲であることは間違いない .

”長い夜は口を閉ざし星も見えず月は雲に隠れている

誰が聞いているのだろうマーラーの憂鬱な行進曲

今心はすべてが空っぽ

ただ時間が過ぎてしまえばいい

君のいないこんな世界

想像よりももっと退屈だった”

 

 

長い夜は沈黙しており,星や月といった”光”は見えないか隠れるかしており届かない.つまり,”希望を見いだせていない”という暗喩を経て,その光や希望が無い状態の中で,誰が憂鬱な曲を聴くのだろうか,いや聞くはずがない,と彼女は思う.今,彼女は心が全て空っぽの状態であり,経験から時間が解決してくれるしかない,と考えている.

ここで君のいないこんな世界という,題名と繋がるワードが出てくる.この時点で言えば君は存在していない(死んでしまった)のか,それとも心の距離が離れていることを指しているのかは分からない.とにかく,君がいない状態は退屈であると彼女は思う.

”些細なことで喧嘩をしてだけど二人意地張って

謝らずに家に帰り頭冴えたままで眠れない

つけっぱなしのパソコンさえ触る気になれずログアウト

ベッドの上で天井を見てる”

 

”孤独”を感じている理由が,些細なことで喧嘩をしたが謝らずに家に帰ってしまったというもので,現在も喧嘩中であることが分かる.君は存在していないのではなく,心的距離が離れてしまったことを言っていたのだと分かる.

(キミガイナイは渡辺梨加がみんなに運ばれてくる棺桶ダンスから始まる)

『キミガイナイ』では”些細な喧嘩”とある.『手を繋いで帰ろうか』では”くだらない喧嘩”の後,彼はキスをしようよと提案する.その提案に対し彼女が怒るか無視するという行動を起こし,家に帰っていたのであれば,ここは同じ日であると言えるのではないか?

個人的には,喧嘩中に,君のハートを埋めるため人の目もはばからずキスをしよう?と提案された場合,怒って帰るのはごく自然な行動であると思う.

とにかく,彼女は喧嘩のことが気がかりで,頭が冴えたまま眠れない.しかし,何かができるような状態でもなく,電源がつけっぱなしのパソコンの画面が時間経過で消えそうになってしまっても触る気が起こらず画面が暗くなる.(ログアウトではなくスリープのことを言っている?)

そして,彼女は何をすることもなくベッドの上で天井を見ているのである.

”本当の孤独は

誰もいないことじゃなく

誰かがいるはずなのに

一人にされてるこの状況”

 

ここでは欅坂46”孤独であること”というモチーフが色濃く現れている.孤独といえば単純に他に誰もいないこととされているが,それよりも誰かがいる状況であるのに孤立している状態,こちらのほうがより孤独ではないのか?と主張している.

つまり,身体的な孤独よりも心的な距離の遠さの方を重視している.そして,後の表題曲で平手友梨奈が演じることとなるキャラはこの思想を反映したキャラとなっている.サイレントマジョリティーの時点でも,スクランブル交差点の喧噪の中,孤独を感じている.

彼女はこの一節で他者との関わり合いについて思いを巡らせている.『手を繋いで帰ろうか』と『キミがイナイ』を比較した際に,思春期の男子の単純さ(子供)と思春期の女子の思慮の深さ(大人)といった対比関係が立ち上がってくる.この曲が1stシングルに共に収録されているのは偶然であろうか?

”こんな夜は息を潜め灯りつけず闇の中で目を開く

壁の向こう側の気配

隣人もまだ起きてるのだろう

もう今更電話したくない

ふと愚かな自分が嫌になる

君のいないこんな宇宙

枕を投げて叫ぶ消えてなくなれ!”

 

誰もが夜にベットの上で真っ暗な状態で目を開け,考え事をした日があるだろう.人の気配を感じた私は,人である彼のことについて思いを巡らせる.今すぐにでも話しをするべきであると分かっているが,今更自分から電話はしたくないと思う.

彼女は電話をすれば解決すると分かっているのに電話を出来ない,そんな自分の愚かさを嫌悪する.彼女はこの時点で,もはや怒りの矛先が自分にあり,彼に対しての怒りはもう無くなっている.そして,思い悩むという行為から彼の大切さを逆に知ることとなった.

ここで,”君のいない宇宙”というワードが出てくる.これは一見すれば意味が分からないが,言い換えるならば”私の世界から君がいなくなった世界”となる.俗にいえば,別れてしまったらもう会わないし,世界にもう君はいないのと同じ,ということだ.

よって,”私の世界から君がいなくなった世界”に意味はない,そんな世界なら消えて無くなってしまえ!と,仲直りをすることを決心する.その決意と共に彼女は枕を投げる.

”どうしてだろう喉が渇く

猫も寝ているキッチンでミルクを飲んだら寂しくなった

本当の孤独は誰もいないことじゃなく

誰かがいるはずなのに一人にされてるこの状況”

 

ここは2番ではあるが,サビの仲直りを決心する前の状態であると考える.彼女は猫やミルクといった”暖かさ””癒し”,”優しさ”のイメージを持つものに囲まれているが,寂しさを紛らわすことができない.そして,ここでもまた誰かがいるはずなのに一人にされている状況こそが真の孤独であると言う.

”やがて空が白み始め

鳥が鳴いて人は誰も目を覚ます

どんな甘い夢も消えて現実の歯車が動く

さぁこれからどうすればいいか?

ほら朝陽が眩しく思えるよ

君がいればどんな日でも何とか生きていける

今日は楽しい”

 

空が白み始め,夜が明けてくる.彼女は思い悩み朝を迎えてしまった.そして,恐らく平日(日常)を迎えたのであろう,現実の歯車が動き,彼と会わなければならない.

その時,朝日の眩しさと共に,君がいればどんな日でも何とか生きていける,とこの悩みに終止符を打つ.今日は楽しい,と彼女自身の中で仲直りの未来を確信している.

”愛しているとわかってもそれとは別の話

ここからはお互い何も見えないだろう

ボクガイテモ キミガイナイ”

 

お互いが愛しているということは分かっている.しかし,お互いがお互いのことを何も分かっていなかったのだと反省する.

”ボクガイテモ キミガイナイ”,ここで僕は僕で君は君である,つまり”私という自己は他者にはなれないのだ”,人は完全には分かりえないということをこの些細な喧嘩から学ぶのである.

ここには”孤独であること”に対する理解への成長がみられる.「一人ぼっちでいることが孤独である」という一般的な考え方から,彼のショッキングな行動から,「本当の孤独は,誰もいないことじゃなく,誰かがいるはずなのに,一人にされることだ」と知り,この喧嘩を通してさらに一歩進み,「誰かがいようがいまいが,私は根源的には”孤独”で,他者と真に分かり合うのは非常に難しい」と”孤独”を理解する.

 

サビの歌詞は繰り返しとなる.

”こんな夜は息を潜め灯りつけず闇の中で目を開く

壁の向こう側の気配

隣人もまだ起きてるのだろう

もう今更電話したくない

ふと愚かな自分が嫌になる

君のいないこんな宇宙

枕を投げて叫ぶ

消えてなくなれ!

イマ コノセカイニ

ナゼ キミガイナイ?Ah-”

 

”イマ コノセカイニ,ナゼ キミガイナイ”と,今すぐにでも彼に会いたいという気持ちを彼女は示し,この歌を閉じる.

・『手を繋いで帰ろうか』と『キミガイナイ』を通しての歌詞の捉え方

 この『キミガイナイ』と『手を繋いで帰ろうか』を併せて考えた際に浮かび上がるのは,しっかり者の女性と思春期の多感でしっかりしていない男性である. そして欅坂46は全員が女性であり,男性の精神的幼さを対比して浮かび上がらせる歌詞となっている.アイドル曲の歌詞には意気地のない男の子はどの時代においても登場する.

・『手を繋いで帰ろうか』からみる振り付けの解釈とその危うさについて

 ここで問題となるのは,この記事で述べた解釈が正しいのであれば,TAKAHIRO氏の振り付けと,秋元康の歌詞の解釈が違うということになる.

『手を繋いで帰ろうか』のライブパフォーマンスを見ると,最後以外は歌詞通り喧嘩をしているが,ラストは仲直りをし手を繋いで帰り,そして最後にキスをすることはしないが,彼女がお預けだよといった形で笑顔で人差しを彼氏に当てる.ここでは,男子側の要求がほとんど承認され,その場で仲直りをしたことになっている.

キャップテンの菅井友香のブログにおいて,『手を繋いで帰ろうか』の振り付けについて言及している箇所がある.

”『 手を繋いで帰ろうか』では、

ダンスの中であかねんと一緒に、

歌詞に出てくるカップル役をつとめさせて頂いています♡            

あかねんが女の子、私が男の子です!                 

彼女が好きという感情がありながらも、

周りの友達に冷やかされ、

付き合っている事を否定してしまう男の子。

それにぷんぷんしてカフェを飛び出してしまうしまう女の子。      

男の子がそれを追いかけたら

女の子が転びそうになってしまって

とっさに助けて….*・゚ .゚・*.            

自然とそこで手が繋がり、

そのまま一緒に帰るというハッピーエンドなんです♡”




伝えたいことがあり過ぎて長くなっちゃいました(・o・) | 欅坂46 菅井 友香 公式ブログ「坂道シリーズ」第2弾 欅坂46

www.keyakizaka46.com

歌詞を教典として一字一句解釈するのであれば,女の子が転びそうになり咄嗟に助け,自然と手が繋がる,という描写は存在しない.ここはTAKAHIRO氏独自の解釈であると言える.

『手を繋いで帰ろうか』の場面の後,本当は仲直りをせず,彼の方は喧嘩別れしてただ家でムカついていて,『キミガイナイ』に描かれているように彼女は思い悩んでいる.これこそが正しい解釈なのであれば,振り付けも変わるのではないか?その際には,曲の印象が大きく変わるのではないか?と思う. 

また,歌詞を解釈したダンスという身体表現においては,歌詞の意図以上に”孤独”を始めとした大きな感情を表現してしまう.心が引き裂かれることを表現する際には,体を引き裂くようなダンスになるからだ.

事実,シングルが進むにつれて,引っ張ったり,つかんだりといった振り付けは多くなっていく.その際に,歌詞をパフォーマンスのために全面化するメンバーにとって,想像以上の精神的,身体的負荷が発生するということは考えられる.

・あとがき

今回の記事では『手を繋いで帰ろうか』と『キミガイナイ』の歌詞の精読を行った.『手を繋いで帰ろうか』ではカップルの行方について,『キミガイナイ』については分かり辛い歌詞を紐解き,彼女が”孤独であること”の捉え方を変化させ,成長していったことを示せたのではないかと思う.

次の記事では,『山手線』,『乗り遅れたバス』,『渋谷川』の歌詞精読を行っていきたい.

以上.

欅坂46の総括~全楽曲精読その1~(サイレントマジョリティー)

 アイドルの活動を総括するというのは基本的には難しいものである.AKB48について言えば,総括を行うことは可能ではあるが解散をしていない以上,語る際には区切りを自ら決める必要があり,その史観は人により異なる.

しかし,欅坂46は主要メンバーが次々に脱退した後に,絶対的センターである平手友梨奈が脱退,2020年7月16日のコロナ下での約10カ月ぶりとなる無観客配信ワンマン・ライブにて,キャプテンの菅井友香から改名を行うとの発表があった.

これは事実上の解散であり崩壊と言っても良いだろう.栄華を極め,崩壊で幕を閉じたアイドルグループをその当時の状況を知っている状態で総括を行うことができる機会はほとんどないだろうし,語る価値があると判断した.

 よって,この記事ではシングル毎に1thから8thまでと,1stアルバム,ラストシングルである”誰がその鐘を鳴らすのか?”までを時系列順に追っていく欅坂46の総括のための10数回あるいは20数回に分かれた文章群となる予定である.

欅坂46にとっての秋元康の歌詞の重要性,秋元康にとっての欅坂46の歌詞の重要性

 

 欅坂46は今までのAKB系列や乃木坂46と比較した際にも,歌詞にダイレクトに主張を入れており,秋元康がその思想を歌詞に最も入れ込んだグループである.そして,欅坂46のメンバーは秋元康の歌詞を教典として重く取り扱い,歌詞を軸にTKAHIRO氏の振り付けと共に鬼気迫るパフォーマンスを構築していった.

これは活動を追ってきたファンであれば実感を持てるであろうし,そのように語るインタビューは数多く存在する(特にキャプテンである菅井友香とセンターである平手友梨奈のインタビュー).

秋元康からすれば,メンバーが自身の歌詞を解釈し表現しようと努めてくれる,こんなにもプロデューサー日和に尽きることはないだろう.結果,より自身の思想を入れ込む歌詞(少年少女に対して言いたいこと)を書くこととなったし,楽曲も他グループよりもコンセプチュアルに,より力を入れていくようになったのだろうと考える.

(下に示すnote記事ではメンバーが歌詞について言及したインタビュー内容がまとめられており,いかに歌詞を重視しパフォーマンスしていたかを知ることが出来る.)

故に,歌詞を考えることこそ欅坂46そのものを考えることであり,その先の秋元康を考え捉える足掛かりとなると考える.

 この記事では音楽的な要素を最小限に抑え,歌詞のみに強くフォーカスし,欅坂46の全楽曲を精読しその思想を”愛にできること””自由であること””孤独と対峙すること””夢を見ること”,というモチーフと共に暴いてきたいと思う.

そして,米津玄師や新海誠といった2016年以降名声を獲得し,世間一般にまで作品が波及した表現者にとっても,この4つのモチーフが作品の重要な位置を占めているという文章も歌詞精読の後に書きたいと考えている.

・1stシングル『サイレントマジョリティー』期間における欅坂46の評価のされ方,時代背景

 1stシングルのサイレントマジョリティーでは,表題のサイレントマジョリティー他,手を繋いで帰ろうか,山手線,渋谷川,乗り遅れたバス,キミガイナイがある.表題のサイレントマジョリティーではデビューシングルにしてヒットを飛ばした.

売上枚数というよりも,世間一般にまで波及したという点でヒットを飛ばしたと言える.(CD売り上げ1位はAKB48選抜総選挙シングルである『翼はいらない』で約150万枚,サイレントマジョリティーは14位で約37万枚)

そのヒットの理由には,青春ソングとしてはあまりにもメッセージ性が強い歌詞,センターの平手友梨奈を特に際立たせるダンスやMVの世界観,J-popとしての曲の完成度が挙げられる.しかし,当時(2016年)の平手友梨奈に対する評価は現在のように神格化されたものではなかったと記憶している.

平手友梨奈表現者とまで言われ,欅坂46を卒業しアーティストとしてはどこにも所属していない状態ではあるが,ROCKIN'ON JAPANの表紙を単独で飾り,3時間全40Pにもなるインタビューを受ける現在のような神格化された受容のされ方でなく,ただ新しいAKB系列,坂道グループのセンターとして受け入れられたのである.

これは,今までAKB48において前田敦子が,乃木坂46において生駒里奈がセンターに選ばれ,そしてすんなりとは受け入れられず,(あくまでノイジーマイノリティーの仕業ではあるが)否定的な意見が多かった秋元康プロデュースアイドルにおいて初の快挙であったことは確かだ.

秋元康プロデュースアイドルにおいて,センターという概念はAKB選抜総選挙と共に徐々に神格化されてきた,そして乃木坂46においてもこの価値観を拭うことが出来ず誰がエースでセンターなのかという争いは続いていた.その時に,新しいシングルで平手友梨奈がセンターとして堂々とアイドルをしている.これが,正確な当時の平手友梨奈に対する評価であったと考える.

 サイレントマジョリティのリリース日は2016年の4月6日であり,2016年はアイドル戦国時代と呼ばれていた状況下であったことも頭に入れておきたい.AKB48ももクロ,でんぱ組incの次席を求め次の天下を誰が取るのか?の戦いが繰り広げられていた.

2020年現在の J-pop を取り巻く状況は2016年から比べ一変している.米津玄師,King Gnu,夜関連(YOASOBI,ヨルシカ,ずっと真夜中でいいのに),瑛人といったようなサブスクからバイラルヒットを飛ばすアーティストはまだ出ておらず,AKB48の握手券システムによりAKB,嵐,乃木坂46がCD売上TOP10を占めていた.こういった状況に対して,アイドルオタクの側も食傷気味であり,楽曲が世間にまで届き,そして認められる次のアイドルを求めていた.

このアイドル戦国時代を勝ち抜き天下を取ったものは,それすなわち J-pop の天下が取れる状況であったが,CD売上げと楽曲の良さが比例しているとはオタク自体全く思っていなかった.そのため,アイドル戦国時代を勝ち抜くために必要な楽曲の良さやグループの勢いを示す,CD 売上とは別の指標として楽曲大賞という企画がアイドルオタク主導(特にメジャーではないアイドルを応援するオタク)で行われていたのである.

ここで2016年の堂々1位をとったのが欅坂46サイレントマジョリティーであった.メジャーではないアイドルを応援するオタク中心の投票でメジャーアイドルである欅坂46のデビューシングルが1位に選ばれた,ということも付け加えておきたい.2位はBiSHのオーケストラであったことも今現在から見たアイドルの力関係,誰がこの戦いに勝ったのかを知ることが出来る.

2016年は庵野秀明の『シンゴジラ』や新海誠の『君の名は。』が公開される等,世界中のエンタメにとって当たり年であり,続々と解散が発表され雌雄を決したアイドル戦国時代の点から見ても重要な年であった.

・『サイレントマジョリティー』精読

では,サイレントマジョリティーを精読する.

”人が溢れた交差点をどこへ行く?(押し流され)

似たような服を着て似たような表情で

群れの中に紛れるように歩いてる疑わずに

誰かと違うことに何をためらうのだろう

先行く人が振り返り列を乱すなとルールを説くけどその目は死んでいる”

 

 まずここでは人が溢れた交差点で無個性な服を来て出来るだけ無個性を貫く,死んだ目をした個性なき大衆が立ち現れる.彼らは個性がないために押し流される.この”人が溢れた交差点”はMVが渋谷の再開発地であること,渋谷川カップリングにあることから渋谷のスクランブル交差点で間違いないだろう.

そして,押し流されている彼らは無個性なだけではなく,何か個性を発揮しようと逸脱しようとする存在が現れたとき,列を乱すなと出る杭を打とうとする.その中で主人公の私はそのことに不信感を持ち,アイデンティティがない人間に対するイラつきを喧噪の中で感じ,私は彼らとは違いアイデンティティを獲得する,他人と違うことをためらわないと宣言する.

 

”君は君らしく生きて行く自由があるんだ大人たちに支配されるな

初めからそう諦めてしまったら僕らは何のために生まれたのか”

 

ここで早速”自由”というモチーフが現れる.そして欅坂46についてのパブリックイメージとして先行している”大人たちに支配されるな”というモチーフもまた現れる.やる前から諦めてしまってどうするのだ,というのは”やりたいようにやれ”という秋元康の歌詞で頻繁に出てくる価値観であり重要である.一つ例を挙げるとするのならば乃木坂46のジコチューで行こう!では,

この瞬間を無駄にはしない人生あっという間だ周りなんか関係ない

そうだ何を言われてもいいやりたいことをやるんだ

自己中だっていいじゃないか My Way My Way

 

このような歌詞があり,もっとも直接的に表現されている.

”大人たちに支配されるな”というのはあくまで”やりたいようにやる”ことでかけがえのない青春という短い期間を十分に楽しむためであり,この目的と手段をはき違えてはいけない

秋元康の発する強いメッセージは,少年少女であるならば青春という期間は他人の意見に縛られず自分の”やりたいようにやれ”である.

そして,生まれてきた意味というのは”夢”を叶えること,何かをなすことである.”夢”はアイドルと密接な関係にある言葉である.アイドルとはすなわち夢見る少年少女であると言えるし,一般的に周りに夢や希望を与える,夢を無条件に応援する存在としてアイドルは捉えられている.

”夢を見ることは時には孤独にもなるよ誰もいない道を進むんだ

この世界は群れていても始まらない

Yesでいいのか?サイレントマジョリティー”

 

ここで”孤独”というモチーフが現れる.自由を求めるまたは夢を見るということには”孤独”がつきものである,と述べる.

夢というのは困難な道を超える必要があるからこそ夢でありそこには誰もいない,初めての偉業を達成する人間の前には誰もいないのである.スターは孤独であるという言説は巷に溢れている.

逆に言えば,群れて馴れ合っている状態では,何も始まらないし,何も成すことはできない.ここには,今までアイドルが無条件に夢を応援してきたことに対する戒めがある.本当に”夢”を応援するのであれば,寄り添うのではなく時には”孤独”へと突き放す必要があるではないか?との考えが現れている.

そして,主人公の私は死んだような目をする彼らに”サイレントマジョリティー達よYesでいいのか?”と問う.サイレントマジョリティーは”公の場で意思表示をすることのない大衆の多数派.1969年にアメリカ大統領ニクソンが,声高に政府批判をする者は少数派であるとする意をこめて言った語”である.

しかし,この問いかけ自体は全く無意味である.なぜならこの歌詞でいう所の個性なき大衆は問い自体を立てない.問いや疑問が浮かんだとしてもNo!と言うには至らない.

だからこそ,人が溢れた交差点で似たような服を着て似たような表情でいるのであるし,サイレントマジョリティーと揶揄されているのだ.衣服とは,表情とは,自己主張の現れである.

この問いかけ自体は虚しく空回りするが,「私はNo!と思うことに対してNo!と言う,私は流されない」と主人公の私が強く宣言するためにこの歌詞は放たれる.そして,この問いかけが虚しく空回りすることは”孤独”を深めていくこととなり,ここには崩壊へと向かう最初の”影”があるというのは言い過ぎであろうか.

 

”どこかの国の大統領が言っていた(曲解して)

声を上げない者たちは賛成していると

選べることが大事なんだ

人に任せるな行動しなければ No と伝わらない”

 

サイレントマジョリティーはニクソン大統領が発した言葉であり,反戦を掲げ政府批判する人々を体制側から揶揄し,サイレントマジョリティーという語を曲解して用い,声を上げない者たちは賛成しているのだからベトナム戦争は支持されていると主張した.このようなことを繰り返さないためにも人に任せず自分で判断し行動をしなければならないと主張している.

ここでは,秋元康の生きた,反戦運動が起こった”フォークの時代”から得た経験や反省を思想として反映させている.欅坂46の曲やそれと同時期のAKB,坂道の曲にもこの”フォークの時代”の価値観はたびたび登場する.

ベトナム戦争公民権運動で若者が揺れていた反戦運動の時代の旗手であるボブディランの名を題名につけた,『ボブディランは返さない』といった分かりやすい曲も発表されることとなる.これもその都度触れることとする.

”君は君らしくやりたいことをやるだけさワンオブゼムに成り下がるな

ここにいる人の数だけ道はある自分の夢の方に歩けばいい

見栄やプライドの鎖に繋がれたようなつまらない大人は置いておけ

さあ未来は君たちのためにあるNoといいなよサイレントマジョリティー”

 

ここで再度”やりたいことをやれ””夢”の方へ歩けば良い,その夢は1人1人違うはずで同じ道を行くことにはならない.全員が孤独に陥るはずだと言う.

また,つまらない大人達は見栄やプライドの鎖に繋がれているという”大人たちに支配されるな”の理由が示されている.見栄やプライドに侵され自由や自身の夢を追い求めなくなった(つまり,彼らは死んだように生きている人間なのだ)からこそ,彼らとは距離を取らねばならないのだ.

”誰かの後ついていけば傷つかないけどその旨が総意だと一まとめにされる

君は君らしく生きて行く自由があるんだ大人たちに支配されるな

初めからそう諦めてしまったら僕らは何のために生まれたのか?

夢を見ることは時には孤独にもなるよ誰もいない道を進むんだ

この世界は群れていても始まらないYes?でいいのかサイレントマジョリティー ”

 

ここではサイレントマジョリティーであることのメリットとデメリットが述べられている.メリットは傷つかないということで,見栄やプライドを守るには物言わぬ大衆として自身のポジションを守ったほうがいい.

逆にデメリットとして,自分が本当に思ってることとは違うこと,夢というのはそれぞれが違うはずであるのに,どこかそれに似たものに回収されてしまう.それだけならばまだマシで,自分が全く望まないことさえも強制させられる,ということがある.

このデメリットの方が大きく深刻であり,戦争がその最悪な結末だと秋元康は考えている.

・あとがき

 サイレントマジョリティーに関しては他のブログでも盛んに歌詞の考察が行われているためどこかで聞いたような文章の寄せ集めになっており,あまり意味がないなとは思ったが,これからカップリングに関しても歌詞を精読していくことで全体像が見えてくれればな,強度が増してくれればな,と思っている.次の記事では,1stのカップリング5曲を1つの記事にまとめることが出来ればよいなと思っている.

以上.