欅坂46の総括~全楽曲精読その2~(『手を繋いで帰ろうか』,『キミガイナイ』)

欅坂46の総括~全楽曲精読その2~として,1stシングル『サイレントマジョリティー』のカップリング曲から『手を繋いで帰ろうか』と『キミガイナイ』の歌詞の精読をしていく. 

今回のこの記事では,『手を繋いで帰ろうか』と『キミガイナイ』がセットになっており,同一のカップルのある一日の情景を映し出していること,今なされている解釈とは異なった解釈が出来るのではないか?また,その解釈の方が正しいのではないのか?ということを指摘したい .

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目次

  • ・『手を繋いで帰ろうか』を精読する
  • ・『キミガイナイ』を精読する
  • ・『手を繋いで帰ろうか』と『キミガイナイ』を通しての歌詞の捉え方
  • ・『手を繋いで帰ろうか』からみる振り付けの解釈とその危うさについて
  • ・あとがき

 

・『手を繋いで帰ろうか』を精読する

 『手をつないで帰ろうか』はシリアスな曲が多い欅坂46にとって貴重な明るい曲で,ライブでの人気も高い曲である.

ダンス部分では守屋茜菅井友香が男女カップルを演じ,メンバーの周りを行ったり来たりしながら,歌詞と共に喧嘩をする場面から仲直りをして手を繋いでキスをするまでが振り付けで表現されている可愛らしい曲となっている.

(動画は2016年TIFでの手を繋いで帰ろうか,とにかく平手友梨奈の笑顔が可愛い(キャロてち))

では 『手をつないで帰ろうか』を精読していく.

”何か誤解させてしまったのかな

みんなに冷やかされて首を振っただけOh

だって誰にも言ってないだろう

君のことをあれこれ聞き出そうとするから

そう面倒くさくて興味ないふりをして

僕はずっとソッポ向くしかなかった

だけど心は集中して君のことを気にしてた

アイスカフェラテのストローの回し方

なぜか君が不機嫌に見えるよごめんやってしまった”

 

手を繋いで帰ろうかでは一組の彼氏彼女と彼氏の側の友人が登場する.そして,彼の側が終始言い訳をしているような歌詞となっていることに注目したい.この彼は彼女と交際していることをみんなに隠していた.

この日,友人にいきなりあれこれ詮索され,動揺してしまい,”みんなに冷やかされて首を振っただけ”とあるので交際を否定してしまった.

そして”面倒くさくて,興味ないふりをしてそっぽを向いているしかなかった”,とただ言い訳をしている.なぜか君が不機嫌に見えるよと言っているが,明らかに不機嫌になる理由を作ったのは彼なのだ.

”手を繋いで帰ろうか

誰かに見られてもいい

堂々と街を歩いて見せびらかそうよ

君と僕はラブラブで付き合ってるってこと

いつもの二人のように仲直りしようよ

つまらぬ照れ隠しをして

君を傷つけたのなら

家に帰っちゃう前に罪滅ぼしさせて

ぽっかりと開いたハート何で穴埋めする?

街角でキスをしよう”

 

そしてその彼女の機嫌を直すために,”手を繋いで帰ろうか,誰に見られてもいい,堂々と街を歩いて見せびらかせよう”,と開き直り自身の潔さ,男らしさを発揮し,許してもらおうとする.

しかし,これは彼女の側から見れば明らかに対応を間違えている.この彼女がして欲しかったことは,始めに聞かれた際に,即座に友達の前で堂々と交際を認めることであって,手を繋いでラブラブ具合を示すことでも,公共の場でキスをすることでもないのである.この過ちはもう取り返しが付かない.すべきは謝罪しかない.

この彼のはき違えたロマンチズムや,なんならキスをしたいという肉体的な欲望をも叶えようとする思考には悪質さがある.(あくまで青少年の悪意なき悪質さである…)

これは明らかに意図されており,思春期のあいまいさがある彼と,優しいが時には感情的になってしまう彼女,のすれ違いの情景を映した歌詞となっており,これは2番以降の歌詞にも続く.

”ふいに君はカフェから出て行ったよ

慌てて僕はすぐ後を追いかけたOh

みんなその展開に驚いてまずいことを言ったのか?

顔見合わせるけど

そうデリカシーがない男友達に

君はマジで怒ってしまったようで

僕が名前叫んだって振り向いてもくれない”

 

2番の歌詞では,彼に怒って彼女はカフェから飛び出してしまう.彼は追いかける,友人はいきなり彼女が走り去ったことの理由がわからないで気まずそうにしている.

彼はというとデリカシーのない男友達を盾に再度言い訳をする.そして,彼女が(俺にはそんなに責任はないのに)マジで怒ってしまった,と軽く言ってしまう.彼は自分に過失があったと認めていないし,”名前を叫んだら振り向いてくれよ!”と思っている.

”道を渡る時いつもより早足で

まさか君は泣いてるのだろうか?

やばい話を聞いて?

手を繋いで帰ろうよ

みんなが向こう側から僕たちを見守っている

視線意識して…”

 

 

彼は彼女が泣いてしまったかもしれないことに動揺する.そして,話し合えば分かり合えると考えており,話を聞いてほしいと訴える.

しかし,サビ部分にて”誰かに見られてもいい,堂々と街を歩いて見せびらかそうよ”と言っているが,実は僕たちを見守っている友人や街の人の視線を意識していることもまた描かれる,そういった点でも彼女が泣いていることを気にするのである.

”こんなくだらない喧嘩

何でもなかったように

このままどこまでも歩いて行こうよ

どんな噂立てられても他人(ひと)も羨むくらいに…

僕をもう一度信じてもっと近くにおいでよ

言葉じゃわからないのならこうするしかないね

今ここでキスをしよう”

 

ここでも彼女にとってはカフェを飛び出すほど重要な問題であるにも関わらず,”こんなくだらない喧嘩”と言ってしまう.そして,”他人も羨むくらいに”とここでもまた他人の視線を気にしていることが分かる.

”手を繋いで帰ろうか

誰かに見られてもいい

堂々と街を歩いて見せびらかそうよ

君と僕はうラブラブで付き合ってるってこと

いつもの二人のように仲直りしようよ

つまらぬ照れ隠しをして君を傷つけたのなら

家に帰っちゃう前に罪滅ぼしさせて

ぽっかりと開いたハート何で穴埋めする?

街角でキスをしよう”

 

サビでは繰り返し罪滅ぼしのためにキスをしようよと提案する.このように,『手を繋いで帰ろうか』では,彼女と仲直りはしたいが,相手の気持ちが妙に考えられない思春期の青少年の未熟さが上手く表現されている.

ここで,歌詞を全て精読したがこの提案を受けた彼女の側の意見や行動は一度も表現されていない.彼女はそれに応じてキスをし,その場で仲直りしたのであろうか?それとも怒ったままで帰ってしまったのであろうか?

ここで次のキミガイナイの歌詞が問題になってくると考える.

・『キミガイナイ』を精読する

 キミガイナイが”孤独”をモチーフにした曲であることは間違いない .

”長い夜は口を閉ざし星も見えず月は雲に隠れている

誰が聞いているのだろうマーラーの憂鬱な行進曲

今心はすべてが空っぽ

ただ時間が過ぎてしまえばいい

君のいないこんな世界

想像よりももっと退屈だった”

 

 

長い夜は沈黙しており,星や月といった”光”は見えないか隠れるかしており届かない.つまり,”希望を見いだせていない”という暗喩を経て,その光や希望が無い状態の中で,誰が憂鬱な曲を聴くのだろうか,いや聞くはずがない,と彼女は思う.今,彼女は心が全て空っぽの状態であり,経験から時間が解決してくれるしかない,と考えている.

ここで君のいないこんな世界という,題名と繋がるワードが出てくる.この時点で言えば君は存在していない(死んでしまった)のか,それとも心の距離が離れていることを指しているのかは分からない.とにかく,君がいない状態は退屈であると彼女は思う.

”些細なことで喧嘩をしてだけど二人意地張って

謝らずに家に帰り頭冴えたままで眠れない

つけっぱなしのパソコンさえ触る気になれずログアウト

ベッドの上で天井を見てる”

 

”孤独”を感じている理由が,些細なことで喧嘩をしたが謝らずに家に帰ってしまったというもので,現在も喧嘩中であることが分かる.君は存在していないのではなく,心的距離が離れてしまったことを言っていたのだと分かる.

(キミガイナイは渡辺梨加がみんなに運ばれてくる棺桶ダンスから始まる)

『キミガイナイ』では”些細な喧嘩”とある.『手を繋いで帰ろうか』では”くだらない喧嘩”の後,彼はキスをしようよと提案する.その提案に対し彼女が怒るか無視するという行動を起こし,家に帰っていたのであれば,ここは同じ日であると言えるのではないか?

個人的には,喧嘩中に,君のハートを埋めるため人の目もはばからずキスをしよう?と提案された場合,怒って帰るのはごく自然な行動であると思う.

とにかく,彼女は喧嘩のことが気がかりで,頭が冴えたまま眠れない.しかし,何かができるような状態でもなく,電源がつけっぱなしのパソコンの画面が時間経過で消えそうになってしまっても触る気が起こらず画面が暗くなる.(ログアウトではなくスリープのことを言っている?)

そして,彼女は何をすることもなくベッドの上で天井を見ているのである.

”本当の孤独は

誰もいないことじゃなく

誰かがいるはずなのに

一人にされてるこの状況”

 

ここでは欅坂46”孤独であること”というモチーフが色濃く現れている.孤独といえば単純に他に誰もいないこととされているが,それよりも誰かがいる状況であるのに孤立している状態,こちらのほうがより孤独ではないのか?と主張している.

つまり,身体的な孤独よりも心的な距離の遠さの方を重視している.そして,後の表題曲で平手友梨奈が演じることとなるキャラはこの思想を反映したキャラとなっている.サイレントマジョリティーの時点でも,スクランブル交差点の喧噪の中,孤独を感じている.

彼女はこの一節で他者との関わり合いについて思いを巡らせている.『手を繋いで帰ろうか』と『キミがイナイ』を比較した際に,思春期の男子の単純さ(子供)と思春期の女子の思慮の深さ(大人)といった対比関係が立ち上がってくる.この曲が1stシングルに共に収録されているのは偶然であろうか?

”こんな夜は息を潜め灯りつけず闇の中で目を開く

壁の向こう側の気配

隣人もまだ起きてるのだろう

もう今更電話したくない

ふと愚かな自分が嫌になる

君のいないこんな宇宙

枕を投げて叫ぶ消えてなくなれ!”

 

誰もが夜にベットの上で真っ暗な状態で目を開け,考え事をした日があるだろう.人の気配を感じた私は,人である彼のことについて思いを巡らせる.今すぐにでも話しをするべきであると分かっているが,今更自分から電話はしたくないと思う.

彼女は電話をすれば解決すると分かっているのに電話を出来ない,そんな自分の愚かさを嫌悪する.彼女はこの時点で,もはや怒りの矛先が自分にあり,彼に対しての怒りはもう無くなっている.そして,思い悩むという行為から彼の大切さを逆に知ることとなった.

ここで,”君のいない宇宙”というワードが出てくる.これは一見すれば意味が分からないが,言い換えるならば”私の世界から君がいなくなった世界”となる.俗にいえば,別れてしまったらもう会わないし,世界にもう君はいないのと同じ,ということだ.

よって,”私の世界から君がいなくなった世界”に意味はない,そんな世界なら消えて無くなってしまえ!と,仲直りをすることを決心する.その決意と共に彼女は枕を投げる.

”どうしてだろう喉が渇く

猫も寝ているキッチンでミルクを飲んだら寂しくなった

本当の孤独は誰もいないことじゃなく

誰かがいるはずなのに一人にされてるこの状況”

 

ここは2番ではあるが,サビの仲直りを決心する前の状態であると考える.彼女は猫やミルクといった”暖かさ””癒し”,”優しさ”のイメージを持つものに囲まれているが,寂しさを紛らわすことができない.そして,ここでもまた誰かがいるはずなのに一人にされている状況こそが真の孤独であると言う.

”やがて空が白み始め

鳥が鳴いて人は誰も目を覚ます

どんな甘い夢も消えて現実の歯車が動く

さぁこれからどうすればいいか?

ほら朝陽が眩しく思えるよ

君がいればどんな日でも何とか生きていける

今日は楽しい”

 

空が白み始め,夜が明けてくる.彼女は思い悩み朝を迎えてしまった.そして,恐らく平日(日常)を迎えたのであろう,現実の歯車が動き,彼と会わなければならない.

その時,朝日の眩しさと共に,君がいればどんな日でも何とか生きていける,とこの悩みに終止符を打つ.今日は楽しい,と彼女自身の中で仲直りの未来を確信している.

”愛しているとわかってもそれとは別の話

ここからはお互い何も見えないだろう

ボクガイテモ キミガイナイ”

 

お互いが愛しているということは分かっている.しかし,お互いがお互いのことを何も分かっていなかったのだと反省する.

”ボクガイテモ キミガイナイ”,ここで僕は僕で君は君である,つまり”私という自己は他者にはなれないのだ”,人は完全には分かりえないということをこの些細な喧嘩から学ぶのである.

ここには”孤独であること”に対する理解への成長がみられる.「一人ぼっちでいることが孤独である」という一般的な考え方から,彼のショッキングな行動から,「本当の孤独は,誰もいないことじゃなく,誰かがいるはずなのに,一人にされることだ」と知り,この喧嘩を通してさらに一歩進み,「誰かがいようがいまいが,私は根源的には”孤独”で,他者と真に分かり合うのは非常に難しい」と”孤独”を理解する.

 

サビの歌詞は繰り返しとなる.

”こんな夜は息を潜め灯りつけず闇の中で目を開く

壁の向こう側の気配

隣人もまだ起きてるのだろう

もう今更電話したくない

ふと愚かな自分が嫌になる

君のいないこんな宇宙

枕を投げて叫ぶ

消えてなくなれ!

イマ コノセカイニ

ナゼ キミガイナイ?Ah-”

 

”イマ コノセカイニ,ナゼ キミガイナイ”と,今すぐにでも彼に会いたいという気持ちを彼女は示し,この歌を閉じる.

・『手を繋いで帰ろうか』と『キミガイナイ』を通しての歌詞の捉え方

 この『キミガイナイ』と『手を繋いで帰ろうか』を併せて考えた際に浮かび上がるのは,しっかり者の女性と思春期の多感でしっかりしていない男性である. そして欅坂46は全員が女性であり,男性の精神的幼さを対比して浮かび上がらせる歌詞となっている.アイドル曲の歌詞には意気地のない男の子はどの時代においても登場する.

・『手を繋いで帰ろうか』からみる振り付けの解釈とその危うさについて

 ここで問題となるのは,この記事で述べた解釈が正しいのであれば,TAKAHIRO氏の振り付けと,秋元康の歌詞の解釈が違うということになる.

『手を繋いで帰ろうか』のライブパフォーマンスを見ると,最後以外は歌詞通り喧嘩をしているが,ラストは仲直りをし手を繋いで帰り,そして最後にキスをすることはしないが,彼女がお預けだよといった形で笑顔で人差しを彼氏に当てる.ここでは,男子側の要求がほとんど承認され,その場で仲直りをしたことになっている.

キャップテンの菅井友香のブログにおいて,『手を繋いで帰ろうか』の振り付けについて言及している箇所がある.

”『 手を繋いで帰ろうか』では、

ダンスの中であかねんと一緒に、

歌詞に出てくるカップル役をつとめさせて頂いています♡            

あかねんが女の子、私が男の子です!                 

彼女が好きという感情がありながらも、

周りの友達に冷やかされ、

付き合っている事を否定してしまう男の子。

それにぷんぷんしてカフェを飛び出してしまうしまう女の子。      

男の子がそれを追いかけたら

女の子が転びそうになってしまって

とっさに助けて….*・゚ .゚・*.            

自然とそこで手が繋がり、

そのまま一緒に帰るというハッピーエンドなんです♡”




伝えたいことがあり過ぎて長くなっちゃいました(・o・) | 欅坂46 菅井 友香 公式ブログ「坂道シリーズ」第2弾 欅坂46

www.keyakizaka46.com

歌詞を教典として一字一句解釈するのであれば,女の子が転びそうになり咄嗟に助け,自然と手が繋がる,という描写は存在しない.ここはTAKAHIRO氏独自の解釈であると言える.

『手を繋いで帰ろうか』の場面の後,本当は仲直りをせず,彼の方は喧嘩別れしてただ家でムカついていて,『キミガイナイ』に描かれているように彼女は思い悩んでいる.これこそが正しい解釈なのであれば,振り付けも変わるのではないか?その際には,曲の印象が大きく変わるのではないか?と思う. 

また,歌詞を解釈したダンスという身体表現においては,歌詞の意図以上に”孤独”を始めとした大きな感情を表現してしまう.心が引き裂かれることを表現する際には,体を引き裂くようなダンスになるからだ.

事実,シングルが進むにつれて,引っ張ったり,つかんだりといった振り付けは多くなっていく.その際に,歌詞をパフォーマンスのために全面化するメンバーにとって,想像以上の精神的,身体的負荷が発生するということは考えられる.

・あとがき

今回の記事では『手を繋いで帰ろうか』と『キミガイナイ』の歌詞の精読を行った.『手を繋いで帰ろうか』ではカップルの行方について,『キミガイナイ』については分かり辛い歌詞を紐解き,彼女が”孤独であること”の捉え方を変化させ,成長していったことを示せたのではないかと思う.

次の記事では,『山手線』,『乗り遅れたバス』,『渋谷川』の歌詞精読を行っていきたい.

以上.